生きているだけで世界の人は全員偉い

今からサイトの日記を更新しようと思ったんだけど、ちょっとやっぱこのブログにも日記というものを書いていってみようか。

というわけで個人的な日記でははじめまして、楓(かえで)と申します。主にパソコンゲームの攻略ページを書きたいと思っている者です。

ぼくが大好きな人たちのブログを見て、直接励ましたり伝えたいことを話したりしたいんだけど、やっぱそうやってプレッシャーをかけるのはいけない。そのときの気持ちによって、言葉の受け取り方はまったく違うものだから読むタイミングはそれぞれ見つけてもらいたい。

しかし大前提として、ぼくはインターネット上でもリアルでも、絶対に人の悪口は言わないし、それをほのめかすようなこと、当てこすりなんてこともしない。そもそもそんなことを考えもしないのでそんなことはできません。だから、ぼくの言葉を悪い方向に解釈をしないでください。なぜなら絶対にそのような意図はないからです。

でもまあ、きっかけがあったから今ここでしゃべっているわけで。それらの人たちのブログに書かれていたいわゆる「悩み」に、ふんわりぼくのことを話そうと思った。

生きるのが楽しくない人がいらっしゃる。それは当然のことであり、悪いことではない。楽しまなきゃいけないということもないし、楽しいのが当たり前というわけでもない。楽しんでいる人が勝者でもないし、楽しめない人が劣っているわけでもない。みんなただ「生きている」という同じラインにいます。生きているだけで、それだけで十分だからです。生きていること自体が立派なのです。

ぼくの人生は、事細かに話すと「どうしてそれで楽しいの?」とか「それは人生損してる」とか「幸せじゃないでしょ」と言われてしまうだろう。それはとっても思います。決めに決められた、与えられた人生を歩んでいる。それで生きているといえるのか、と。

だが結論から言うと、ぼくは人生が楽しくて仕方がない。毎日起こることが楽しい。今日も笑顔を向けた人が笑顔になってくれた。それだけで嬉しい。

もちろん生活していてイヤなこと、怒りたくなる事はそりゃ発生する。横断歩道を全うに歩いているのに車にひかれそうになったとか。だって死にそうになったってことだもん。死にたくないもん。

それは昨日のことだけど、ここ1ヶ月ぐらいでなんか嫌なことがあったような・・・どこかの店の店員さんが、相当失礼な態度を取って・・・・・・。

・・・だが、今ちょっと顔をしかめて10秒ぐらい思い出そうとしたけど・・・ん?いや、ムリだな。思い出せない。ぼくは嫌なことはすぐに忘れてしまうんだ。イヤだったことを思い返す時間がもったいない。そんなこと考えるのに時間を使うぐらいなら、もっとほかの事を考えたい。

その1ヶ月前ぐらいの相当イヤだったことよりも、昨日行った飲食店の店員さんが優しくて可愛かったことに癒されたのでそのことですっかり上書きされています。2回も隣のテーブルの料理をぼくのところに運んできてしまって、そのときのリアクションがめちゃ可愛かった・・・!

うーん、ぼく自身の話はあんまりできないんだけど、それでもとっても些細なことで幸せです。空が綺麗でも嬉しいし、お邪魔した家のネコちゃんがごはん食べてるのを見るだけで愛しさで悶えるし、道を譲ってくれたおばさまもありがたくて幸せな気持ちになる。

日々を贅沢して過ごしているなんてことは全くない。ぼくは自由に外出はできないし決められた人としか遊んではいけないので、自分のために買い物をすることは祖母宅に行っておばあちゃんと買い物をするときか、お母さんに連れられて出かけるときか、もしくはインターネットで注文するのみです。

自分のために何かを買いに出かけてお店に入るということはできません。例えばコンビニに寄ってお菓子を買うということはできないのです。

唯一自分の足で出かけられるのは仕事。ごくごく普通のお仕事であり、それは今まで自転車だったけど駅ぐらいまでなら歩いてしまいます。その仕事も楽しいです。とりあえず笑顔でいればうまくいく。褒めてもらえる。感謝される。

帰り道にどこかに寄ることもできず、ただただ職場と家の往復のみ。そんだけです。本当にそれだけの人生。

外出するときは誰かの車に乗せてもらって出発するのみ。運転するのは友人だったり家族だったり色々だけど、その行き先はぼくが行きたいからいくという場所ではありません。ぼくは特に行きたい場所はもうないからです。行きたいと言ってもダメだし。だからもう行きたくもないです。

ほしいものもありません。ほしいと言ってもダメだし。だからもう何もほしくないです。生きるための食べ物さえあれば。あとはまあ、クリエイトなことをするための環境さえあれば。ちょっとそれは贅沢かな?とにかく、「自分の物にしたい物」というのは全くなくなってしまいました。

だーけーどー・・・。

ぼくは、それで本当に十分。毎日が楽しい。本当に楽しい。いろんなものが作れて、たくさんの人と接して、感謝されて、たまに外に連れ出してもらって、それが決められた人生であっても、ぼくにとってそれが最高の幸せです。

それはどうしてなんだろう・・・あらためて、己を客観的に見るとすごく不思議に思われるかもしれない。自由に生きられないのに何が幸せなの?生きてて楽しいの?意味があるの?言われそう・・・。
 
イヤなことを思い出しそうになったらすぐにそのことを考えるのをやめて、ほかの事を考える。そうやっているうちに、イヤだったことはどんどん忘れていく。もう思い出さない。思い出したらまた忘れる。教訓にすべきことはするべきだけど、自分が悪くないのにただイヤな思いをしたことはひたすらすぐに忘れていくのみ。

全部は全然話せないから意味不明な部分が大半だろうけど、生きている意味があるって本当にいいことです。小さなことが幸せです。イヤなことを考えなくなると、小さな幸せが頭を占めてただ幸せだけになります。いや変な宗教とかじゃなく。ハッピーハッピー教とかじゃなく。ただ、ぼくという一個人の話。とってもラクで楽しい生き方。

ぼくの生き方は、それ。

イヤなことを考えるのをやめるっていうのは本当にいいことなので、こればかりはみんなにやってもらいたい。こっちが悪くないのにストレスためてこっちにマイナス効果が現れるなんてなんと理不尽なことか。損してやる必要なんてないのです。好きなことだけ考えて。

それでいいのか、それだけで生きていけるわけがないと思わない。それもマイナスなこと。それを考えても何もいいことはない。そう考えるぐらいなら、もっと現状よりよくする方法、プラスになることを考えて。

・・・そろそろ話し終えようかと思ったんだけど、ぼくが実際にリアルな生活でやっていることを一つだけ話しておこう。どっかで言ったことあるかもしれないけど、非常に有効だから。

嫌なこと、思い出すよ。実はしょっちゅう思い出すよ。それは誰かにいやなことをされたというよりも、自分がやってしまったことも含まれる。半々か、後者のほうが占める割合が多いかもしれない。もう謝ったから許してもらえたことを、申し訳なかったと思って「うあー」と思うことがある。しょっちゅう。

ぼくは自分が悪かったと思ったらすぐに、速攻で謝るから、あとで「まずかったかも」と思いたくないから、どんなに些細なことでも光速で謝る。ほぼ「なんのこと?」と言われるが、それでもいい。気にされてなかったと思って安心できるし、謝れば絶対に許してもらえる。

まあとにかくそうやって「今思い出さなくていいこと」を思い出してしまったとき、考えるのをやめたくなったとき、首を振る。横に少し振る。そうやって考えを振り払う。

ぼくはもうそれが一連の流れ、動作になっているので、首を振った瞬間に何を考えていたのかをすっかりさっぱり忘れます。ウソだろ、と思うかもしれませんがマジです。その「首を振る」という行動をするだけで「思考を中断し、別のことを考える」ということが起こるのです。瞬時に切り替わるのです。

ぼーっとする、ということがあまりなくて常に考え事をする性質なので、思考が飛んで飛んで思い出してはいけないことを思い出すこともしばしば。そんなときに首を振れば一瞬で考えていたことを忘れます。

たまに人前で首を振ってしまうこともありますが、「どうして首を振ったの?」と訊かれることもあります。そりゃそうだ。突発的に首を振るから・・・。

説明できる相手なら「考えを切り替えるのに首を振るんだ」と言うし、前髪がちょっとね、とか言えばそれで特に追及されずに終了です。

一日に何度首を振ってるか分からないけど、首を振った瞬間に全てを忘れるから今日何を考えそうになって首を振ったのかは一切思い出せません。ウソじゃないぞ。これは本当のことなんだ。もうずーっと、そうやって生きてるから。イヤなことを考えないから、思い出せないんだよ。

イヤなことが起こらない人生を歩める人なんて、絶対にいない。それはぼくも断言します。

イヤなこと、イヤなものとの付き合い方。好きなもの、幸せなことを気持ちにどれだけ割くか。それだけです。

勘違いしないでほしいのは、ぼくが正しいわけじゃないってことです。イヤだった事を思い出してしまう人が悪いのでも、幸せを感じられない人、マイナス思考に陥ってしまう人が悪いのでもありません。それは「悪」ではない。

ただ、ぼくはこうやったらラクに、幸せに生きられる。生きられている。それだけってことです。みんなが少しでも幸せになってくれたら。上手く生きられたら。ぼくはそれでさらに幸せ。だってみんなことが大好きだからね。

落ち込んでいる人も、幸せな人も、毎日楽しい人も、つらくて苦しんでいる人も、みんなのことを愛してます。